
ユーザーにまなざしを向け、社会に開かれた仕事をしたい。思いを共に重ねる実践から、新しい価値が生まれる。手応えのある成果とその実証が、さらなる自分をひらき、社会をひらくー
大手コンサルティング・ファームでの経験を糧に、金均氏は、人と人との意思を繋ぐNODEを立ち上げた。
これまでの資本主義のシステムにおいて、企業は投資家の期待に応えるべく、より大きなリターンを求めて邁進してきた。そうした構造にあって、経営者の意識は、ともすればユーザー以上に資本家に向かざるを得ない。必要以上の過剰な生産とサービス展開、そして、余剰を消化し得る市場開拓は不可欠で、ニーズを生み出すためのマーケティングと次なる球の仕込みは続く。
こうして拡大を目指すビジネスの在り方に疑問を抱き、「ユーザー」視点に立ち返ろうと、NODEは生まれた。根源的に抱くニーズを探り、向かう道を伴走し、協働するプロセスから生まれる価値がある。探求の過程で為される工夫の積み重ねは、1ユーザーを超えて、みんなの課題解決につながっていく。巡る資本の力を活かして、次なる社会へ。
人が集えば、社会ができる。強い共感でつながれば、仲間意識は深まり、「私たち」の声は大きくなるかもしれない。けれど、共感の内にとどまれば、社会の範囲は限られている。取り巻く世界は、圧倒的に広くて多様だ。
深くうっそうとした森の構成は多様であって、寄り集まる生命は、絶えず、それぞれに異なる反応、異なる視点、異なる動きで応じている。連携する広大なネットワークの上に、然るべき距離感と関係性でつながりながら、様々な機能とエネルギーが混ざり合う。個も全体も、共に然なる道理を宿し、多様な発露の集合体は、栄枯盛衰の営みを経験しながら何万年という時を超えていく。
森と人の社会は同じでないにしろ、そこに生じるものに、何が利他で、何が利己か、線引きするのは難しい。隣人からみれば日和見的で利己的に見える振る舞いも、森のシステムにとっては必要不可欠かもしれない。三年後、五十年後は、もしくは、より広範囲の風土にとっては、かけがえのない利他的振る舞いかもしれない。
今、お腹が空いている「私」から、遠い彼方の「誰か」まで、時空間や仲間の範囲は幾重にも重なっている。今、誰と、どこへ向かってどのように歩むかは、個人にとっても、組織にとっても大事なテーマだろう。瞬時の判断と長期の視点。競争を伴うポジショニングと助け合い。勝ち取る売上と利他的精神ーー。資本主義経済の枠組みと同時に、人々の意識が変わりつつある今、二面性とも映る両者をどのように携えて次のステップへ向かおうか。
「人生の大半を費やす"仕事"に、自由に思いを込められないようならば、半分は死んでいるようなもの。“WORK” を「仕事」という意味だけでなく、「作品」とも読み替えて生きていきたい。仲間との“作品づくり”を通じて、友愛のネットワークを築きたい」とNODEの創業者であり代表取締役の金氏は語る。
WORKとは、「機能する」「功を奏する」という意味も持つ。NODEを通して生まれる数々のWORKS -作品群- が、足元と頭上を行き交うベクトルと合流し、これからの社会を動かしていく。
個人と企業と社会の声をきく、金氏と僧侶の問答は続く。
松本:NODEの社員研修の場に、スピーカーとしてお呼びいただいたのが、初めてお会いしたきっかけでした。
金:そうですね。でも、実際はそれより前に、僕の中に「松本さんとつながらねばならぬ」という思いがあったんです。社内研修でご講和いただくというのは、つながるための一つのきっかけだったかもしれません。
講和をお願いするにあたっては、松本さんの話を聞いて、社員一人ひとりに「自分の仕事とは何か」をいま一度考えてみてほしいと思っていました。NODEを通して手掛ける仕事は、どういう方向性にあるものなのか。自分にとって、社会にとって、何を目指していることなのか。「自分」と「社会」の接続点や、両者の交わる部分はなんなのか、と。
そうした思いがあったのは事実です。でも、そもそも僕に「松本さんとつながりたい」と思わせたのは何か というと、「現代社会にヘンな人来だぞ」という感覚ですね。
日本を代表する大企業の幹部研修で、松本さんが「グッド・アンセスター」をテーマに話をされる場面に立ち会った時、参加者の反応がどうあっても滔々と説き続ける様子をみて、やばい精神力だなと思いました。笑
「グッド・アンセスター」はビジネスの話でもなく、極めて社会的かというと、それもどうかはわからない未来的なテーマと受けとめています。これまでの資本主義が作り出したグローバルなビジネスエコノミーの限界に対する、一つの返答だろうと。その内容自体、僕は面白いと思いましたが、伝わっているのか、疑いたくなるような状況にあってもひるまず話し続ける姿は、衝撃でしたね。「この人は何なんだ」と、興味深かった。そうして、「つながらねばならぬ」という結論に至ったわけです。
松本:ただ、空気が読めていないだけなのか。
金:空気を読まないタイプの人なのか、仏道の修練によるタフネスなのか、それだけ思いが強いのか。わかりませんが、あの研修の様子は、象徴的なシーンだったと思うんです。
大手企業の研修の場に、僧侶がやって来て、7世代という単位の時間軸の話をしている。次世代の幹部候補でもある参加者たちは、ご講話を聞きながら、頭の中では、管轄支部の今期の業績と明日の成り行き、我が身の振る舞い方を考えている。もちろんそうした日々の努力により、社会と私たちの暮らしは成立しているわけです。でも、そういう日々だけの人生を、子どもたちや未来の世代に伝えていきたいと思えるかー。「かっこいい生き方」と思えるかー。僕にも、なんとなく 違和感があった。
松本:なるほど、そういう意味では、私を見て「仲間かもしれない人がいる」と、そんな感覚だったのでしょうか。
金:そうそう、そういう感じです。
NODEという会社は、大手コンサルティング・ファームに対する、ある種の失望から始まっています。国内では需要があって成長著しい業界ではありますが、やっていることは、「金儲け」の方法を編み出しながら、「金儲け」の相談に応じて、「金儲け」を達成させるということです。マーケティングにしろ提供するノウハウにしろ、全ては儲けるための手段であって、どこまでいっても議論は「金儲け」の一点に回収される論理で成り立っている。
一方で、同じビジネスでも、金儲けよりも大事なことの実現のために取り組んでいる人たちも、世の中には大勢います。集団で固まっているわけでもなく、それぞれの企業にそういう人は存在していて、そこから新しい事業やサービス、新しい社会慣習といったものが生み出されていくものです。でも、取り巻く事情や別の論理で、思いがはたされることなく終わっていく現実も、これまで数々見てきました。未来に向けた動きをサポートする仕組みがなければ、社会は変わっていかないではないか、と。
そうした仲間たちをサポートしながら共に新しいビジネスを作っていこうとNODEを立ち上げました。金儲けを主軸とするビジネスに対する、アンチテーゼと言えるかもしれません。
詭弁にせずに、一つの軸としてまっすぐ社内に伝えたい
金:NODEには、未来的、社会的、利他的な人が多く集まっています。とはいえ、現実的には毎月必要な支払いがあるわけで、金儲けをしなければいけない。長期で捉える仕事の意義と、瞬間化しやすい金儲けの狭間で社員も私自身も揺れながら、いかに両立させるかを探っています。二つの軸の間で、足元を見失いそうになることもあるものです。座標平面上を貫く北極星に通じるような軸の必要性を感じていた時、松本さんにお会いしました。この人は、軸足の置き場を示してくれる人かもしれない、と。
例えていうなら、日曜日にミサに赴き、懺悔をして次の一週間を迎えるような「行為」を日常に設ける必要があるのかもしれない。そうしたビジネスとは異なる軸を提示して、社員に共有しながら、一人ひとりの軸との距離感を確認していく機会や場が必要だろうと。松本さんにご 講和をお願いしたのには、そういう思いもありました。
日々、競争を伴うビジネスの現場にいれば、業績や評価、キャリアといったものにどうしても意識は囚われます。多くの人はそうした毎日を生きていて、松本さんにしたって、それらと切り離されてはいないわけですが、僕らに比べて、成分が薄そうに見えたんですよね。
松本:
成分が薄いか濃いかといえば、私の中にも両方あって、行ったり来たりをしています。ただ、現代のビジネスは、規模が大きくなるほどその軸に乗りっぱなしにならざるを得ない社会環境があると思います。そこで働く人たちも、本当はみんな一人の人として思いや声を持ち合わせているはずだけど、押し殺しているうちに、自分の声を忘れてしまっているーーそういう人がとても多いように思います。
金:極論を言えば、「自分」なんてものが僕の中にあるのかわからないですけれど、自分にも「利己的な自分」と「社会に開かれた自分」とがあると思っています。
人間には、誰かの役に立ちたいという欲求がある一方で、最近よく使われる「自分らしく」という言葉にある「自分」には、「自分かわいさ」が先立つ利己的なマインドを感じます。会社で仕事をするのも、自分の成長のためであったり、承認されたいという利己的欲求がモチベーションになっていたりする。
新しい事業やサービス、社会をつくっていく人たちは、自分がどうかというよりも、「世界をこうしたい」という思いに突き動かされて取り組んでいると思います。社員一人ひとりの内から、利他的な側面を発露してほしい。そのためには、自分のそうした側面を触発するものに触れて、見つめ直す必 要がありますよね。松本さんのお話を聞いたり、僧侶の方と対話する機会をもつことは、自分にとっても社員にとってもうってつけだと思いました。
松本:知識を得るということではなく、触媒になるような。
金:日常生活では、お腹が空いた、とか、お金が欲しいとか、目の前で果たしたい自己の欲求に接する機会が圧倒的に多いと思うんです。その中で、より、他者に開かれた自分、未来に開かれた自分に深く気づかせる体験をどうデザインするか。そこのところを、経営者の立場から示すのはなかなか難しいものです。
NODEは、金儲けによる成長を目的に しているわけではありませんが、社員の給与を払う必要がありますし、企業は、一つの「社会」としてある程度成長していくことも必要です。ですから、稼ぐことを社員に求めたり、時に厳しく問うことも経営者である自分の仕事だと思っています。日頃そうした立場に立ちながら、唐突に「利他的であろう」「社会に開かれていよう」「100年後の未来のことを考えよう」と語ったところで、気持ちがわるい。違和感を感じて当然です。そうした意味で、ビジネスに取り込まれた立場にあると、どんなに善人の言葉を持っていたとしても、語りにくいものなんです。偽善的に聞こえてしまうのも、わかりますから。
松本:聞き手も、どっちのメッセージを受け取ればいいのかわからなくなる。
金:そうですよね。自分が語れば、その二面性に社員は困惑しますし、大事なことは伝わらない。まっすぐに 伝わる場づくりとして、松本さんにお願いをして、研修や対話に入っていただきました。
松本:そうした意味では、産業僧対話や研修の場は、普段、接することのない異質な第三者(ストレンジャー)を招き入れて、触媒とする機能があったのかなと思います。私自身、金さんとの対話では、毎回「ここに生まれているな」という実感のある体験をさせていただいていて、得るものが多いです。
一人の人間として、大きなベクトルの中で、自由になる、自在になる
松本:第三者を招き入れるようなサービスは、世の中にはコーチングやメンター制など、類する選択肢は他にもあると思います。金さんにとって、僧侶である私との対話はどんな特徴があったでしょうか。
金:そうですね。NODEには経験豊富な顧問や客員ディレクターがいて、先輩方からアドバイスをいただける体制にあります。彼らの存在も、世の中のコーチャーと呼ばれる人たちも、向かうところは「現代においてどういった意思決定をするか」であって、その「手段を聞く」ことはできます。例えば、「私はどのように部下をマネジメントしたらいいでしょう」という問いを設ければ、コーチャーとの対話を通して「なるほど、こうすればいいんだろうな」と気づきを得ることはあります。もしくは、先人の体験談を聞いて、参考にさせてもらうこともある。いずれも、その時代環境において、どうビジネスとして成り立たせるか、マネジメントするかといった振る舞いの話です。あえて集約してしまえば、「いかに効率的に達成するか」ということです。さらには、コーチャーから「あなたらしいマネジメント」を提示されれば、いかにも自分 らしいものとして自己化しがちですが、はたしてそれは、本当にその人自身なんだろうかと、僕には疑問が残ります。
「そもそも部下をマネジメントする必要はあるんだろうか」という問いへ向かうことは、コーチャーとのやり取りではなかなかありません。産業僧対話には、自己とはそもそも在るものではなく、私がそう捉えるものに過ぎないという仏教的な哲学が根本にあるんだろうと思います。マネジメントの仕方をテーマにしても、そうした哲学を前提に、「"そう思う私" はどう振舞うか」という、異なるレイヤーから物事を捉えていく。「あなたらしい判断をしましょう」と「自分らしさ」の「自分」に近寄ってくる感じがコーチャーにあるとすれば、産業僧はむしろ突き放される感じです。一人の人間を、一人の人間にしてくれる、そんな感じがありますね。
世界の広さや、過去や未来に開かれた永い時間を思えば、自分のちっぽけさに気が付きます。ちっぽけならば、ちっぽけなりに、都度、適当に判断していくしかないという気持ちになるんです。そうした感覚を通して、人は繋がっていくんだとい うことを感覚的に受け取っています。そうやって人は開かれていくんだろうと。
松本:最近、AIの大規模言語モデル(LLM)に親近感を感じているのですが、LLMは、言語空間をベクトルで読み解いて生成していきます。今日、ここにこうしていて、この瞬間に湧いてくるもの自体、無数のベクトルによって作られた流れの上にあるわけですよね。それを、仏教では「カルマ」の思想とも言いますが、それは必ずしも自分の生きている時間軸の話ではなく、家系や血脈を超えて、人類史や生命史と共にある「ずっと続く流れ」です。そういうものに構成されて、今がある。
金:本質はそこにあると思っています。世の中を流れるベクトルがあって、そこに身を置く自分を客体視した時、自分はどのように振る舞うか、そういった問いのもち方ですね。いたずらに自分に寄っていくばかりでは、利己的な自分が発露しやすいように思います。
松本:閉じちゃう感じでしょうか。
金:そうですね。「自分がどうしたいか」に始まって、最後までそこに留まってしまうこともある。あなたがどうしたいかも、まぁ色々あるでしょう。ただ、一旦遠ざかって、うごめくベクトルの中で客体視してみれば、自ずとあなたのやりたいことは見えてくるんじゃないかと。そうやって客体視する状況に身を置かせてくれるのが、産業僧対話の場ですね。
ビジネスの世界に身を置いてきた自分からみて、ビジネスは「金」「自分」といったものに囚われがちです。でも、お金も自分も、大き なベクトルの中でみられるようになると、自由になる。自在になる。そうした経営や事業のあり方を見つける機会や、気づきの機会を定期的に設けてくれるのが、Interbeing社の根本にある価値だろうと思います。最近は、パーパス経営を目指して模索している企業も多いです。社会活動と経済活動の両立を目指す経営者やNPOなど、必要としている人や組織は多いのではないでしょうか。
松本:私たち自身も、必要だろうと思いながら取り組んでいます。いただくご縁のなかから「なにかここにありそうだぞ」と思ってくださる方と共に、少しずつ、自分たちの提供できる価値を探っているところです。
社会は、利他性や開かれ具合の評価を必要としている?
金:興味深かったのは、松本さんに講和をいただいた後、違和感を抱いた社員もいたことです。なかには、産業僧対話への参加を望まない社員もいましたが、全員と対話をしていただいたことで、社員のことや、自分自身の経営メソッドを考えるのにすごく役立ちました。
松本:グッド・アンセスター的思想が、ある種のリトマス試験紙になっているんですね。
金:そうですね。自分のキャリアを社会にオープンに開いていくには、どういったキャリアパスが必要で、確率論的にどのぐらいの年齢になる と閉じていくかといったことが累計化されていて。
松本:どっちに転がるかの、境目がわかったということですね。
金:はい。コンサルティングをする際に「社会に開かれている」ことと「金儲けをする」ことをいかに両立するか。その時、誰をどのように起用して、どういった権限とポストを渡していくか。そういった判断をする際の解像度がぐっと上がりました。今、多くの企業がその両輪が上手くまわることを目指しながらも、「人」についてそれを測定・評価する手法がありません。これから、なんらかの方法で測っていく社会になるだろうと僕は思っているんです。
松本:なるほど。
金:その時、ある種の人材マネジメント・コンサルディング支援ファームとしてinterbeing社 があるというのは、極めて示唆深いと思いますね。
松本:NODEさんからそのようなオーダーをいただいて設計したわけではありませんが、取り入れてみたら、そのようにも機能したということですね。
金:そうですね。 おそらく、産業僧対話をして「面白い」と感じる人の多い会社の方が、カルチャーとして社会に開かれている度合いが高いと思います。
松本:それはそうだと思います。
金:NODEはその度合いが高いと思っていたけれど、意外とそうでもなかったというのは発見でした。であれば、他の多くの会社はどうだろう、と。
松本:これまで様々な企業の方と対話をさせていただきましたが、NODEは開かれ度の高い人が多いなと感じていました。
金:社会の一般的な企業文化を思うと、ビジネスとしてはなかなか苦しいのが現状かもしれません。でも、既に課題は生まれていて、ニーズの種はあるはずです。これから、interbeing社のサービスを必要とする事業主やNPOのリーダーは絶対に増えていくと思いますね。
産業僧対話が、みんなを社会に開かせていく、そんな体験の接触点になって欲しいです。対話を通して個人へのアドバイスを行ってーーといっても、むしろアドバイスからは遠ざかっていくんですけどーー個が集まって集団となった時、どういったものになっているかを組織として評価できるのは、一人ひとりの社員から経営者、そして組織全体まで同時にサポートすることになるだろうと思います。
松本:あえて「指標」という言葉を用いれば、interbeing社が示す指標は、何を評価していると思いますか。
金:その会社の「利他性」のようなものではないでしょうか。自分のためではなく、利他性のために生きている成分がどれだけあるか。他者やお客さまへの貢献実感が多いと、従業員のロイヤリティが高いことが統計的に証明されています。そうした従業員幸福度(employee wellbeing)と相関関係のある「利他性」を、どうやって組織の内に発露していくのかという取り組みは、今後、企業の中でいよいよ起きてくると思います。
松本:なるほど。そうですね。他者との関わりにおける利他性が、会社という単位になった時、言語として結実したものが「理念」だろうと思います。ベクトルやカルマといった話で言うと、会社という法人自体もまた、さまざまなベクトルとカルマの集積の上に、今、ここにこうしてあります。会社の内と周りには、これまで携わった人の思いやら、創業者の家訓やら、色々なものがゴチャっとある。そういったものを纏いながら、集団として社会や人々に対してこうしていきたいという「社会の公器」としての意思やベクトルが「理念」ですよね。その担い手として、一人ひとりが自分自身の言葉で発言していくことは、企業理念を現実化していく、つまり、フロンティアをひらく一員であるという意識や、社会とつながっている感覚を育むことになると思うんです。
金:そうだと思います。
松本: