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Apr 22, 2022



Interbeing社では、企業で働く人々と僧侶との1対1の対話を提供しています。「産業医」は働く人の健康状態を診て必要なケアを施しますが、「産業僧」は、人生に起こる様々な苦に対応し、日々の習慣から生き方まで、人生のウェルビーイングを高めていく役割を担います。


産業僧対話は、従業員と対話したら終わりではなく、よりよい場となるよう、産業僧だけでなく、データサイエンスチームや運用チームも一緒になって情報交換したり、議論しています。今回、産業僧として、僧侶の方々がどのようなことを意識したり、考えたりしながら、対話にのぞんでいるのかを学ぶために、「産業僧勉強会」を開催することにしました。第1回目となる産業僧勉強会では、昨年より産業僧として参画いただいている僧侶のプラユキ・ナラテボー師に発表をお願いしました。


プラユキ師はタイで出家した日本人僧侶です。現在は日本とタイを往復しながら、Zoom法話や瞑想指導、個人面談と幅広く活躍されています。産業僧という新しい僧侶のあり方をどのように受けとめているのか、語っていただきました。


産業僧勉強会~プラユキ・ナラテボー師にとっての産業僧対話とは?



 

  目次

1.プラユキ師にとっての産業僧対話とは何か?

2.仏教の教えに照らして産業僧を考える

3.産業僧・プラユキ師からのメッセージ

 


プラユキ師にとっての産業僧対話とは何か?



今日は、産業僧対話をテーマに、みなさんに何をお話したらよいかと考えていましたが、私(プラユキ)自身が産業僧として半年間、企業で働く皆さんと対話してきた体験を振り返りながら、自分が意識していること、感じていること、また、仏教の教えに照らして、私なりに産業僧の役目を捉えてみました。


私はこれまで、個人の活動として毎年400〜500人の方との個人面談を行ってきましたが、そこにいらっしゃる方の多くは、それぞれに悩みや苦しみを携えて、自ら希望されて面談を受けにこられます。「相談をしたい/気づきを得たい/瞑想法を学びたい」そうしたみなさんの気持ちに応え、問題の解決につながるよう、対話に当たる私の意識は、仏教の教えや実践法を「お伝えすること」に向いています。相手の方へ「提供する」抜苦与楽とも言えそうです。


産業僧対話においては、対話に臨む心持ちから、話の内容、対話後の対応まで、個人面談とはだいぶ異なります。産業僧の取り組みを通じて、新しい出会い、特に、仏教に特別に関心や親しみがあるわけではない人々とのご縁をいただいています。そこでは、相手の方との間に生じる多様な「生きた智慧」ーーこれを私は「ダイナミックな智慧」と呼んでいますがーー瞑想や、自分を見つめることから得てきた智慧とは異なる智慧を、産業僧対話から学ばせていただいています。

普段は単独で活動をしていますが、Interbeing社ではチームとして継続的な関わりをもち、またこの勉強会のようにチームに対してプレゼンを行うことなど、私にとって初めての体験が多いです。これまでにない気づきや学びの場となっていて、私にとって、産業僧はほかならぬ修行そのものです。



仏教の教えに照らして産業僧を考える



仏教には「師」が人々を導きサポートする際の順序次第として「開示悟入」という教えがあります。「修行者」(産業僧対話においては対話者の方)の智慧の開発プロセスを示す「四増長法」とは、以下のように対応しています(下表参照)。人のサポートをするにあたっては、心の開かれた、信頼感のある状態をつくることから始まります。師は、修行者への共感のうえに、苦しみの仕組みを示し、理解され、そうしてはじめて苦の解放につながる相応しい行動に向かうことができると説いています。


産業僧の役割は、企業で働く方と、[ お互いの信頼関係のうえに ー 自己の理解を深め ー 解決の道を見出して ー 行動に向かう ] そのプロセスを、対話を通して共にすることであろうと思います。


開示悟入の教え ープラユキ師のプレゼン資料よりー


私自身、産業僧対話を始めた頃は、うっかりこの「開示悟入」の順序を誤って、後から反省することもありました。産業僧対話においては特に、「開」にあたる「傾聴と共感」の大切さを感じます。信頼関係がある程度築かれたうえで行われる個人面談と違って、相手の方は僧侶の私を知らないことがほとんどです。ご本人の希望とは関係なく、ご縁が生まれる場合もあるのが産業僧対話の特徴の一つです。そこから始まる対話を通して起こる変化に、沢山の気づきや学びがあります。


産業僧対話では、多くの方が "何を話せばいいでしょう" "特に悩みはありません" とおっしゃいますが、話をしているうちに色々な「苦」が出てくることがあります。健康のこと、家族のこと、職場や周囲との人間関係・・・話をしながら、ふっふっとご自身で自覚化されていく。そうした苦の自覚を伴う自己理解があってこそ、次なる展望や可能性がみえてきます。


その先で欠かせないのは、「開示悟入」の「入」であり、「法随法行」、つまり行動です。自己理解から学んだことを行動に移し、実践しながら結果を得ていく。実際に自分で行動して結果を出すことで、実感や確信が深まり、生きる自信につながっていきます。

私は長年、瞑想指導もしてきましたが、対話のポイントとなるものは瞑想修行における核心にも相通じます。瞑想は、自分の心への対応を鍛えていく方法ですが、対話の場においてもその心をもって相手に触れ合い接することで、瞑想状態と同じような次元の意識があらわれます。その変化の仕組みは「五力」のはたらきとして次のように説明できます。


「五力」のはたらき (信・勤・念・定・慧)

ープラユキ師のプレゼン資料よりー


まず必要なのは五力の「信」。私(産業僧)と対話者とのあいだに、信頼関係を得ていくことからはじまります。それがそのまま、世界に対する信頼へと繋がっているんです。別の言葉を使えば、"心理的安全性"のある状態をつくるということです。「無知や無能と思われるのではないか」「自分が邪魔になっていないか」「ネガティブと思われるのではないか」。そういった不安を喚起させない、受容的な雰囲気の場づくりを意識しています。


安心できる環境で自らを語るなかで、自分の「パターン」に気づいていきます。その過程で、それまで意識できていなかった「苦」を自覚することも起こるんですね。私たちが普段はまり込んでいる考え方や思想、イデオロギー、あるいは肉体的行動から、我にかえり、客観化する力をつけるということです。それはメタ視点をもつということでもありますね。


何かにはまりこんだ状態のまま、時を重ねて人生を過ごすより、今起きていることを自覚して、よりよく生きていけるよう智慧をもって歩めるようになってほしい。生きることは苦でありながら、人間が苦から解消されることは可能であると示した「四聖諦」はブッダが説かれた人生における真理です。


四聖諦

ープラユキ師のプレゼン資料よりー


四聖諦の教えでは、苦を<苦諦・集諦・滅諦・道諦>という四段階に分け、苦の「認識」と「解放」のそれぞれに、因果の関係をみています。苦しみを明らかにして(苦諦)、その原因を見極める(集諦)。苦からの解放があることを示し(滅諦)、いかにして苦を解決していくか(道諦)をブッダは説かれたわけです。こうした苦を取り巻く因果関係を包括的に把握できるようになると、苦も智慧となっていきます。


来し方の苦しみを見つめることで、自身の課題が発見され、それと同時に人間関係が改善される。そうして本来の力が発揮されれば、周囲へのパフォーマンスは向上し、結果、会社に相応しいかたちで貢献できるということです。苦を知ることで、展望が開かれます。そこに向かうための具体的な方法論を、仏教は「八正道」をもって細やかに提示しています。


身の回りの生活習慣から、法の理解と実践まで、仏教の道には段階的なステップがあります。そこでは、正論や正攻法に頼らない、表現の工夫も必要です。産業僧対話においては、お一人お一人の状況や段階に応じて、それぞれに相応しいかたちで仏法が伝わり、顕現されることを願っています。



産業僧・プラユキ師からのメッセージ



対話した従業員自身の心に、のちに、自分の苦しみに向き合うだけでなく、ご家族や同僚など、他者への思いやり(慈悲)が喚起されて、「いつも助けてもらっているな、生かしてもらっているな」という感謝の心が湧いてくることがあれば、いいですね。さらには、自ら工夫をして、自他の抜苦与楽を実現(顕現)させていこうという気持ちになってもらえたら、すごくいいなと思います。


対話した従業員における、自他の抜苦与楽が進むことはもとよりとして、産業僧を導入される企業(組織)には、よい組織のモデルとなって、日本の社会や世界へよい影響を与えることができるようにと願います。この活動を通して、僧侶や仏法の価値を再発見いただけたら嬉しいですね。私自身は産業僧対話をまさに「仏道修行」と位置付けていますので、これからも多くの人(組織)と対話を交わし、知見を広げ、智慧と慈悲を育みたいと思います。


私はこれまで、本当の意味で人間に関心をもっていなかった部分があるかもしれません。どちらかというと、今までは「法を伝える」モードにありました。こうして従業員の方々とお話させていただくなかで、これまでよりも、一人ひとりの人間に親しみを感じられるようになってきました。これもまた産業僧活動の恩恵だなと思っています。

最後に、産業僧対話を通じて、あらためて気づいたことがあります。それは仏縁のない人にまったく仏教の話をすることなく、聞き役に徹するだけでも抜苦与楽を促せるということが体験としてわかり、そのポイントもブッダの教えにあった、ということを再認識できました。そしてこれは言うなれば、仏縁のあるなしに関わらず、誰もが身近な人との日常的な対話を通して、共に抜苦与楽の道を歩んでいける可能性とそのポイントが発見された、ということになるかもしれません。身近で苦しんでいる人がいたら、まずは話をきいてみるとよいかもしれませんね。


 

プラユキ・ナラテボー


プロフィール

1962年、埼玉県生まれ。上智大学哲学科卒業。大学在学中よりボランティアやNGO活動に深く関わる。タイのチュラロンコン大学院に留学し、開発問題を研究。1988年、瞑想指導者及び開発僧として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。最近は日本に活動のベースを移し、各地の大学や寺院での講演から、有志による瞑想会まで盛況のうちに開催されている。個人面談も重視しており、これまでに1万人以上の人たちの心のケアし、自他の抜苦与楽のための智慧を与え続けている。 著書『仕事に効く!仏教マネジメント』、『脳と瞑想』、『悟らなくたって、いいじゃないか』他多数。

公式サポートブログ「よき縁ネット」https://blog.goo.ne.jp/yokienn

公式ツイッター https://twitter.com/phrayuki


産業僧勉強会~プラユキ・ナラテボー師にとっての産業僧対話とは?

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